自然の楽しみ方

新国 勇
河北新報 計数管 2001年8月23日(木曜日)掲載
 高校生のころから、野鳥に興味をもつようになった。ラジオで野鳥の鳴き声を特集した番組を聞いたのがきっかけだった。鳴き声から鳥の名前がわかるなんて経験したことがなかったので、はじめて鳥の声の主がわかったときは感動した。それからは、草木鳥虫魚など生き物すべての世界へのめりこんでしまった。
 樹木の芽吹きから開花、結実、紅葉、落葉まで季節の移ろいを見ていくのは実に楽しいことだ。毎年、夏鳥や冬鳥と再開できるのもうれしい。まれにヤツガシラやヤマショウビンという珍鳥がやってきて狂喜することがあるが、なにも珍しいものでなくてもかまわない。道ばたのツユクサやゴミをあさるカラスだって、じっくり見ているとおもしろい。すこしでも知ろうという気持ちさえあれば、退屈することなんてない。
 しかし、なにも知らされずに野山を歩くとしたらどうだろう。きれいな空気や開放感は感じるかもしれないが、生き物の多様性や自然の美しさに気がついたり感動したりできるだろうか。
 サッカーを見ていて、ルールも選手の顔も知らなければおもしろくはない。でも規則や選手の名前がわかってくれば、ずっとおもしろくなるはずである。だれも知り合いのいない学校に行ったときを考えてみよう。たくさんの見知らぬ子どもたちばかりで、だれと何を話したらいいか戸惑ってしまうことだろう。そこに一人でも知っている子どもがいるなら、その子を介して次第に周囲と仲良くなれる。
 自然の中に入るときも、同じことがいえる、森の中で、たった一本の草を知っているだけで、昔の友だちに会えたような気がする。こずえから聞えてくる鳥の鳴き声で種類がわかれば、森の一員になったような気がして、うれしさがこみ上げてくる。
 有名な菌類学者の南方熊楠は、自分の庭を荒れ放題にしておき、その様子を楽しんでいたという。ちょっと極端な例だが、庭を見る彼は至福の境地にいたことだろう。
 すなおに何でも好奇心をもつという気持ちさえあれば、自然はどこまでも胸を開き、尽きることのない興味の世界へと導いてくれるだろう。


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