なくしてわかる自然かな

新国 勇
河北新報 計数管 2001年8月2日(木曜日)掲載
 福島県只見町を流れる只見川に、河川敷公園ができた。堤防の縁にはツゲの生け垣が植えられ、遊歩道はアスファルト製、花壇はコンクリートで囲まれている。まるで都会にある公園のミニチュア版だ。緑深い山々に囲まれ、イワナがすむ川が流れるという恵まれた環境をもちながら、なぜこんな公園が必要なのか不思議に思う。でも、住民の多くは、この都会的な景観を見てきれいになったと喜んでいる。
 公園ができる前は、大きなシロヤナギが豊かな葉を風にそよがせ、低木のオノエヤナギがアシ原に交じっていた。ヤナギのこずえではアオジが鈴をふるような美声でさえずり、アシ原にはオオヨシキリがにぎやかに鳴いていたが、もう見る影もない。
 川向かいの台地に、オートキャンプ場がある。ここも以前に大改修された。山を縫うような遊歩道とりっぱな尾根道がつくられた。道の両側の土は掘り取られ、アジサイやドウダンツツジといった園芸植物が植えられた。そこは、春はシュンランやマキノスミレ、初夏にはヒメサユリやササバギンラン、イチヤクソウが咲く里山の草木たちが主役の場所だった。
 町営のホテルがオープンしたときも、都会風公園がつくられた。芝をはり、コンクリート製の堀に水を流し、中央にはケヤキを植えた。
 奥会津の自然と民俗を展示する川のものしり館の付属公園がつくられたときも同じだった。完成記念にと公園の入口に植えた木が、アメリカハナミズキである。日本中どこにでも見られる街路樹だ。
 都会では、自然な河川にもどそうと、コンクリート堤防をこわしてススキが生える川原をつくっている。公園や校庭では自然を呼び戻すため、野生動物のすめる池がつくられている。
 どうしてこのように逆転したことが行われるのだろうか。それは、豊かな環境に住む田舎の人は、自然本来のすばらしさに気付いていないからだと思う。そして都市の人工的な環境にあこがれる。一方自然を失ってしまった都会の人は、自然のままの姿がほしくなる。田舎でも、なくなってみなければわからないのだろうか。それでは遅いのに…。


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